私はとあるときから“がんばれ” という言葉が嫌い。
応援の気持ちでこの言葉を使う人は多いのだと思うし、言われて励まさる人もいることもたしかなので言葉がそのものにはなにもネガティブな要素はなくて、むしろポジティブな言葉だと思います。
目次
“がんばれ” を 初めて深く考えてみた – 中学2年 14歳 –
私は中学2年の3学期目に拒食症で入院しました。このことはまた別記事で書きます。
この出来事と、とある先生との出会いがきっかけで、これまで何もとくに考えたことのなかった
“がんばれ” という言葉について深く向き合うことがありました。
拒食症を発症した(いつからかの定義は難しい、きっと中学1年の冬からだと思う)頃、動いていないと不安だったり、勉強も缶詰めでやったりとにかくいろいろ今思うと勉強とダイエットに根をつめていたと思います。
そんなこんなで中学2年の3学期、たしか1か月ぐらい学校を休んでからおそらく2-3月頃に拒食症で入院しました。
そのときに非常勤の国語の先生が本と一緒に手紙をくれました。
その内容は、その先生も摂食障害抱えていたか、過去抱えていて
「私は頑張れという言葉が嫌いです。」
と書いてあったのが今でもすごく覚えていて、当時は全く理解ができなかったし、先生の抱えていたであろう辛さも想像がつかなかったと思うし、“どういうことだろう??” と???しか浮かばなかった。先生が気遣って、手紙をくれたことはうれしかったし今思い返すと、本当に先生は私に
「マイペースでいいんだよ、焦らなくていんだよ」
ということと
「私と同じ苦しみに陥らないで」
ということを伝えたかったのだろうなと、大人になった今思います。
そして今では、先生が「私は頑張れという言葉が嫌いです。」と言っていたことがよくわかるし、
私もいつからか ” がんばれ” が嫌いになった。そして人にも言わなくなった。
でも、自分に “がんばろう” ”がんばれ” は言っていたりするので、矛盾かもしれないけど自分で自分に言うのはいいみたいです。
そして”がんばれ” に重みを感じるのはがんばってないから自分自身の目をつぶりたいというか、できていないところに目が行くからできてない自分、取り組んでいない自分を直視したくなくて
逃げているだけだろうな。と思うこともある。
これからどうしていこうか?
がんばらないといけないのか、がんばりたいのか、がんばっている自分じゃないと嫌だけど、ゆるく無理せず生きたいのか?
先生、また会いたいなぁ。顔も覚えていないのだけれど私も大人になったのであのときはわからなかったですが、お礼を伝えたいのと深い話をしたいなと思います。
“がんばれ” の代替語
では、“がんばれ” の代替語は、というと “がんばれ” って、ポジティブに応援したい気持ちだと私は感じるので、(圧を感じる “がんばれ”はまた別の意義として)
「応援してる!」とか
「そんな大変な状況の中で毎日ほんとに耐え抜いてるよ」とか
「目標に向かって努力してて素敵、一歩一歩絶対進んでる」とか
心からそう思って、言っている。
あくまで私の主観なので、人によりますが私は “がんばれ” 聞くと苦しくなるし、人が思うように
がんばらなければ認められないのか、がんばらなければ一緒にいられないのか、がんばらなければ関係を保てないのか。
上述の “がんばれ” は例えば、関係を保つことでいうと例えば、
「毎日筋トレがんばってないといけないのか」、「毎日料理をがんばっていないといけないのか」「がんばって人の何倍も稼がないといけないのか」というような、「なにかをしてないといけない」ということで、相手を思いやることとは別です。
勉強をがんばっていない(そしてがんばっていると認められないと)と親から愛されないのか、とかそういう類です。
がんばっていないと関係が保てないのかの深堀り
友人で、例えば世間でもよくちょこちょこあるのかな、と思うのですが
高校時代の友人に10年ぶりに再会し、喜んでいたらこれまでの経験を聞かれ、何かを期待しビジネス的な話になるとか。価値観の違いによるものですが、こちらは友人としてこれをきっかけに今後も交流を続けたいと思っていた場合で、でも相手はビジネスのひとつのコネ/リソースとして考えていたというケース。
相手が期待する、思い描いている私という人間に動いてほしいと思う、なにかをがんばっていないと興味がもたれない、友人でもいられないのかなと思う。というか、ビジネスパートーナー的な対応を求められれいるようで、ビジネスパートーナーにふさわしくないと、交流する意味がない。的な感じで。
でもきっと、共通の話題や、一緒に切磋琢磨したい。という気持ちもあってそう言ってくれているのかもしれないので一概には言えないのですが 相手が思うようにがんばって、結果が伴っていないと 関係が保てないのかな、と思うと寂しくなることはあると思います。
書いていて伝わる文章でかけているのかわからないのですが、もう少し例を書くと
なにかに一生懸命、打ち込んでいる人は輝いて見えるし、素敵だと思います。私だって興味を持ちます。
ですが、友人に対して個人ビジネスをしていないとダメ、英語が話せないと友人じゃないとか、趣味を何かもって打ち込んでいないと興味ないとか、そういうことではない。ということを伝えたかったです。
だって友人にはいつも支えてもらっているし、悩んでいたり困っていて動けないとか何かあったら力になりたい、また会って他愛ない話をしたい、一緒に時間を過ごしたい。と思うので “がんばれ” とは思わないからです。
(待ち合わせに頻繁に遅れてくる場合はもうちょっと間に合うようにがんばって、と思うと思いますが 笑)
まとめ – そして自信のなさに起因? –
実は私はそんなできる人間でもないし、すごい人間でもない。
メンタルは弱いし、行動力はある方だと思うけど、臆病なところもあるし人が思ってるほど私は強い人間ではない。という自信のなさからもあると思います。自分で、自分は精一杯やってるとか、素敵だとか、自信があればそんなに “がんばれ” は気にならないのかもしれません。
まだこの言葉には、一喜一憂することが続きそうですが、自分は “がんばれ” という言葉ではなくて、パワーがでるようだったり、安心感だったり、あなたは素敵だよ。っていうような言葉を使いたいなと今は思います!