過去の振り返り ⑧ 高校入学 ー学校にいけなくなる –

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YUNMI

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t中学校では勉強ができる/あるいはする 子どもで 高校受験では無事受験した私立2校、公立1校に合格し晴れて第一希望の公立高校 国際教養学科に入学することができました。

英語教育に力を入れている学校で、修学旅行はオーストラリアに行けることになっていたのでとても嬉しかったです。国際教養学科の8~9 割女子生徒。クラス40人中、男子生徒は4-5人程度でした。

隠キャラが高校デビューを夢見た15歳

中学校では隠キャラだったので、いわゆる高校デビューを夢みていました。大人になった今は隠キャラとは、クラスで目立つとかどっちでもいいですし、個性の違いなだけで区別する必要なんてないと思いますし、学校社会で区別されたとしてもどっちが優も劣もないと思います。

でも思春期の時期って学校社会での自分の立ち位置が気になったり、目立つ子が優みたいな風潮があると思います。

中学生の頃の私は【特定の仲の良い子、親友】と呼べる友人もできず、休日にどこかに遊びに行くこともなくまんべんない交友関係であったと思います。

高校では楽しい学生生活を送りたいとはりきって入学し、高校デビューを夢みていた私はどの子と仲良くなるべきか、なんてことも考えていて目立つ子の仲間になりたいと思いつつ、

クラスでは社交性はあったので様々な子と話し、クラブ活動はダンス部に入りたいなと思いつつ、中学校と同じ吹奏楽部。花形のトランペット担当になりました。

学校は通学に1時間かかり少し遠かったですが、それでも入りたい高校に入れたのでとても嬉しく、また友人もすぐにできましたが高校も例外なくクラスでグループ化が進んでいきました。

私はクラスの子達にまんべんなく接し、一度仲良くなったグループと別の子達とも話したり一緒に行動をしたりしていると段々とどこのグループにも属していない自分に気付き、立ち振る舞いがわからなくなっていき、クラスメイトの目や何も変われず隠キャラなままな気がしていきました。

高校入学1か月後の異変

クラス内のグループ化が進んでいく中で、どこのグループに属してもいないことに気付き、クラスメイトの目が気になり、学校に行くのが億劫になり、次第に学校には行けなくなりました。

先生も、クラスの友人も、吹奏楽部の友人、先輩もみんな心配をしてくれいじめられたことは全くなかったのですが、どうあっても行くことができませんでした。

そして過食は進行し、どんどん太り1か月で40キロ代だった体重が50キロ代になりました。

私も今でも学校にいけなくなった根本の原因を思い返し、分析しますが以下の項目と考えています。

  • 高校生になっても地味な自分に失望した。何も変われていない自分に失望した。
  • グループ化に入りこめなかったことにより高校生になっても特定の仲の良い子ができなかった自分に失望した。
  • クラスの子の目が気になり行けなくなった
  • 学校に行かなくなり引きこもるようになり、過食が進み太った自分を誰にも見られたくなかった。

2年間の引きこもり

外に出れず、学校に行けず家で何をしていたかというとあまり記憶がないのですが

テレビを見たり、食べたり、携帯ゲームをしたり、過食をしたり愛犬の散歩ぐらいは行けていたかもしれません。これだけ書くと本当にぐーたらな生活をしていました。

母には怒鳴り散らし食べ物を買ってこいと命令したり、幼少期から貯金していたお年玉を崩して、兄の貯金箱からお金を盗んで食べ物を買っていました。

本当に最低な自分でした。

高校生になった頃から携帯を持たせてもらっていたので、携帯で摂食障害に苦しむ方々のブログを読んだり、自分とは違って外見綺麗に保ち努力している方々のブログを読むと

頑張らないとと思いつつも動かない自分に毎日劣等感を感じ

またいつしか、嘔吐を覚えひどいときは一日中過食嘔吐の繰り返しでした。

最終的に夏頃には最高体重を記録し身長151センチに対し65キロ。中学卒業時より20キロ以上太りました。

1年目に不登校になり、留年が決定し2年目に入るとき一つ下の年齢の子達と高校1年生からやり直そうと数日学校に行きました。それでもまたダメですぐにいけなくなりました。

引きこもり中はダイエットと過食を繰り返し、絶食をしたり当時話題となった燃焼スープ系、プチ断食系、シェイク置き換え、家では一日中足踏みをしたり体型と体重操作、食べ物に取りつかれていたと思います。

大きな金額ではなく数千円程度ですがダイエット製品関連の詐欺まがいのものにも当時は気づかず盲目になっており手をだしました

親、兄弟、愛犬。家族には本当に迷惑をかけました。母はカウンセリングにも通うようになったと聞きました。本当に親不孝で周囲に迷惑したかけていなかった高校時代でした。

それでも生きていた、生かしてもらっていた。そして今がある。

引きこもりから抜け出せたきっかけ :進学への希望

好きなことや、来への希望と、自分がこうなりたい、この道に進みたい。ということが見つかった。思い出したそして方法が見えた。

同級生が高校3年生になる頃、ひとつの専門学校の案内がきっかけでした。

それは国際関係のものでドルフィンセラピー研修+留学がセットになっているものでした。

私はイルカが幼い頃から大好きで、また小学校高学年ぐらいから海外と英語への興味がありました。

そこでやっぱり進学したい、専門学校または大学に行きたい、留学したという気持ちが強く芽生え

高校を卒業するには同級生の2年遅れになるため、同じタイミングで専門学校・大学を受験すること大検を取得しようと考えました。

調べていると私が受験する年から大検は【高等学校卒業程度認定試験】に名称が変わることを知り

高校の勉強を全く行っていなかった私は予備校等を調べました。

こうして思い立って調べられたのもインターネットと携帯電話があってこそですが、ない時代には広告や電話で調べるしかなかったのかと思うと本当に便利で、情報がとれる、とれないで泥雲の差だと今ながらに思います。

結果、一度予備校の説明会に1人で行きました。

当時、その予備校(兼通信制高校)の職員さんは私が一人で調べ、一人で説明会に来たことに驚きつつ背中を押してくれました。

後日母と一緒に来校したと思います。

いくらかかったのか親不孝ながらに覚えていませんが、入学させてもらい同級生と同じタイミングで進学できるよう勉強を開始しました。

無事、同級生が高校3年生の夏に高等学校卒業程度認定試験に一発合格することができました。

まとめ

まとめ

学校に行けなくなったのは、きっと中学の自分に劣等感を持ちすぎて嫌になり高校では自分を変えたかったのにうまく変われない自分への失望。太った自分と、グループに属せていない自分への失望と周りの目を気にしていたと分析しています。

暗闇の中、家族はもっと毎日いつ抜け出せるのだろうかと絶望に追いやっていたと思います。

ですが、何かのきっかけで必ず抜け出せることを伝えたいと思います

なんでも好きだったことや、やってみたいと思うことを想いだしたり、見つけたり何かのきっかけで必ず変われます。

それまでは本当に辛くしんどい毎日だと思いますが必ず、必ず光が見えることを伝えたいです。

今は辛くても、その辛くしんどい時期が将来の原動力にもなります。

私は高校時代の暗闇はいまでも思い返すと学校に行っておけばよかったと思いますし、未だに劣等感を感じることもありますが

この時代のことを思うと大学や社会人になってからその時代を払拭するように、あるいは迷惑かけた親に恩返しがしたい、強くなりたいといったように自分を奮いたたせる原動力にもなっています。

今学校にいけない方々も学校がすべてではないので自分の好きだったことや、興味のあること、何も思いつかないときはいつかは本当に何か見つかるので、しんどい中でも諦めないでほしいです。

ずっと、一生その状態が続くことはありません!

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