過去の振り返り ⑥ 中学校2年生:拒食症入院 1か月- 入院生活と思春期拒食症の心理

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YUNMI

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中学2年生の2月頃から、自宅で学校を休みながら生活しても食生活や行動になにも変化はなさそうだ、ということで入院することになりました。

正直に入院できるのは少し嬉しく思う自分がいました。

なぜかというと、おそらく学校に行かない口実、公式に病気というかケアが必要と認められていること、だったり公式に休んでよいとか、か弱い自分、特別な自分とでも思えたからだと思います。

1週間程度だろうな、と軽くみていたのもあります。

実際病院に入ってみると早く帰りたくて仕方なかったんですが笑

そんな本記事では、私の体験からですが思春期拒食症の心理と入院生活について書いていきます。

入院生活概要

入院生活入院期間:1か月

処置:毎日の点滴 + 問診

病棟:脳神経内科

病床:共同部屋(4つぐらい)

お隣のベット:糖尿病のおばちゃん(娘さんが当時私と同い年ぐらい)

設備:ベット、テレビ(有料)、ちょっとした引き出し

持参物:着替え、歯磨きセット

入院中していたこと:勉強(以外に覚えていない…。焦りがあったのもあります)

かかった費用:おそらく10万円ぐらい

母は小児科に入れてくればよかったのに…と言っていましたがそこで隣のベットで入院していた糖尿病の患者さんが娘さんがちょうど私と同い年ぐらいの方でとても優しいおばちゃんでした。

看護師さんも優しくて、一番印象に残っているのは夜勤の看護師さん。

かっこよくて「勉強は裏切らない」と勉強する私をほめてくれました。

私は入院は1週間ぐらいかな~なんて気軽に考えていたのですが1か月でした。

初日は初めての入院生活に好奇心もあったのですが(不謹慎ですね)、いざ入院してみると

とても寂しくなって、牢屋に閉じ込められたような気分になり、早く帰りたくて

毎日泣いていました。

母は毎日お見舞いに来てくれて相当負担をかけていましたが、母が毎日来てくれるのが楽しみでたまりませんでした。

愛犬も入院の1週間前ぐらいに飼い始めたばかりだったので母は精神も身体も本当に負担が大きかったと思います。

兄もたまにお見舞いに来てくれて、セブンイレブンのとろーりシュークリームを買ってきてくれたこと、心配そうに私を見ていたことを今でもはっきりと覚えています。

今思うと、当時はスマホもだい時代。携帯ももっていないので本当に今では考えられない環境ですね。きっと寝てたことも多かったと思います。

入院生活の食事

朝食は概ねいつもパン、ヨーグルト、フルーツ

昼食と夕食は2種類から選べて毎週紙に書いて提出していました。メインに副菜が2-3品とお味噌汁とご飯。メインは焼き魚、コロッケ、おでん、ときにグラタンなどなど質素で栄養バランスの考えられた食事でおいしかったです。

元々煮物や和惣菜が好きだったのでたぶん中学生にしては渋い好みをしていました(笑)

副菜のひじき煮、卯の花、おから、ホウレンソウのお浸しなどはは小鉢山盛りに出てきましたし、きちんとした食事を山盛り(といってもおそらく一般的な中学生の量と思います。)を食べたのはどのぐらいぶりかわからず

量に驚きつつも病院食は不思議と全部完食していました。

手が震えながら食べていたのは覚えていますが、嫌とかではなくて身体全身がエネルギーを欲していたのかもしれません。

そして毎日何を食べたか、どんな感情だったか日記をつけていました。

実家にそのノートはとってあるのでまた帰省したときに読みたいと思います。

入院中の気づき

入院初日は体重が29 KGほどでした。

入院する前は自分がガリガリの痛々しい姿になっている自覚はなく、むしろ30 KG切れて嬉しいという気持ちでいました。

しかし体力は落ちており、入院前はお風呂も母に手伝ってもらっていた記憶があります。

そんな私は入院中のある日、トイレに行ったときに鏡に映った自分の姿を見て驚いきました。

YUNMI 14歳

YUNMI 14歳

なんだこれは!!!!!!!!! ガリガリやないか !!!!!!

【痩せすぎ】と気がつきました。

この瞬間、気づけて本当によかったと思います。体系に関する認知の歪みが治らないままだと、入院中は早く退院したいしきちんと食べて、退院後はまたダイエットで戻そうとしていたでしょう。

憶測ですが、入院して食べるようになって頭がきちんと働くような栄養も身体に回って、判断力が出てきたのではないかと思います。

食べることって本当に大事です。

思春期拒食症の心理推移

  • 痩せたい、太るのが怖い
  • 体重が落ちるのが快感
  • 甘えたい
  • かまってほしい(気にかけてほしい)

痩せたいはいわずもがな、毎日体重測ったり体重が増えるのが怖くて過度な食事制限と運動をしていました。

最初は軽い気持ちのダイエットが、体重がスルスル落ちていくのが快感に代わっていきます。

ここまでくると、綺麗になるために痩せたい、ダイエットする。ではなくて思うような結果が出ることへの執着だと思います。

そして体重〇〇を超えてはいけない。というルールができ、そのラインはだんだん下がっていきます。(私は当初、40 KGそこから 36 KG → 34KGになっていきました)。

本当にこの頃きちんと食べていれば胸は成長したと思いますし、筋力もついていたと思います。

ですが、当時は体重と勉強。これが自分の価値を測り、安心する材料だったと思います。

YUNMI 33 歳

YUNMI 33 歳

そしてその19年半!!!! 後に豊胸手術を決断し、2回手術することになります。

そして、体育の先生が私の異変に気付き親も手厚く見てくれるようになってから

【甘えたい】【かまってほしい】という感情が芽生えていることに気が付きます。

「あ、痩せてガリガリだったらみんな優しいし、気にかけてくれるんだ」と。

そこでさらにダイエットに拍車がかかり、この時点ではもはや痩せ=美の意識のダイエットではなく、痩せたらみんながかまってもらえる=太るとかまってもらえない=自分は価値のない人間 という心理でした。

まとめ

入院は医師の診断がないとできませんよね。だからこそ当時なにかに追われているような、強迫観念かわかりませんが何かに頑張らないとと思っていた自分にとっては、学校も休む理由がちゃんとできて嬉しかったのだと思います。

最初はダイエットがきっかけでしたが、だんだん体重が減ることに異常なまでにこだわっていたのは自分を気にかけてほしかったのでしょう。

本当はガリガリにならなくても、両親は愛してくれていますし兄もなんだかんだ妹のことはたった一人の存在として思っていてくれたと思います。

それが、日々の生活の中で痩せていることが、自分の価値や人の気を引く方法として変化してきてしまいました。

幼少期からしっかりしている子どもだったらしいので、どこかで甘えたい気持ちを我慢していたのか平気なフリをしていたのか、また2年生の頃に友人をケガさせてしまったこともしんどかったのか様々な要因が重なったと思います。

当時、入院して体系の認知を改められたのはよかったです。家族には多大な負担と心配をかけてしまいました。

その分これから親孝行をしていきたいと思います。

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