本日は中学生の頃の振り返りの話です。
中学校の頃は学校が嫌いで、塾が好き。授業中寝てたこともありました。わざとではありません。起きてられませんでした。
クラブ活動は小学生の頃やっていたSPEEDの今井恵理子さんと新垣仁江さんがLIVEという高校生の吹奏楽部を舞台にしたドラマを見て影響を受け、吹奏楽部に入部したことを覚えています。
小学生の振り返りで書いてませんでしたが、SPEED大好きで解散した瞬間から、歌手や歌に興味が全くなくなりました。笑
そして、摂食障害のきっかけも中学生の頃です。
摂食障害の話は、センシティブなお話で読む方にとっての解釈によりその方に悪影響を与えないか懸念もあったのですが、伝えたい。周りと本人の方が気づいてほしいというアラートを鳴らしたい気持ちで書くことにしました。
そして、個人差はあると思いますが、私が事例で思春期の過度のダイエットは胸が減ります。成長しません。もう一度書きます。私が事例です。(ここがポイントではないんですが、女性の皆さん。胸が減るんですよ!という抑止力をこめて。。)
それでは序章はこの辺で本日も一つ一つ。
目次
劣等感と学校嫌いの始まり – “イケメン” 兄と同級生との比較 –
このブログテーマ、劣等感がここから強くでてきます。
中学校は公立だったので、周辺の3-4個の小学校から生徒が集まり新学期は同じ小学校で仲がよかった子と同じクラスになるかとか結構ドキドキしていたと思います。そして、兄の姿を追い塾にも通い始めました。
中学校では、小学校で仲がこじれた子と同じクラスになってしまったらどうしよう。とか心配もしてました。その不安は2年生のときに直面することにあります。
私はいわゆる “隠キャラ” でした。勉強はできる方でしたが他の小学校の “ギャル的な感じ”、“クラスの中心” 、となるようなそうしたキラキラした子達の傍ら、勉強はできる隠キャラだったと思います。笑
兄とは2つ年が離れだったので、中1と中3のとき同じ中学校になりました。
クラブ活動では当然、兄の同級生の先輩もいます。
兄からは、「学校で会っても話かけるな」、「あんまり兄弟であることを言うな」ということを言われてたと思います。
思春期の兄弟だとよくあることだと思いますが、その気持ちがどちらか一方だけの場合は言われた側は結構傷つくと思います。笑
自分の同級生でも、兄や姉同士が友人というケースもあったこと、兄はどうやらイケメンに入る部類らしく、よく周りからは
「お兄ちゃんイケメンだね~、かっこいいね~、羨ましい!」なんてよく女友達言われてたので
ここで自分を卑下したり、兄はかっこいいし、勉強もできるし、クラスの中心的な感じでモテる。
でも妹の私は冴えないし、隠キャラでキモイ。と。この認識が形成されていきました。
歪んでるし、ひねくれた性格だと思いますが、こう思っていました。兄と比較し、劣等感を感じていました。
被害妄想ですが、同級生の女の子達も私にそんなこと言ってきて、私と話そうという気持ちじゃなくて、兄と近づきたいからなんじゃないのかなと、常に思ってました。ほんとひねくれてますね。
この頃に形成された歪んだ認識が、後の恋愛にも影響を与えていたのではないかと思います。
恋愛において影響を与えたコンプレックスは胸だけではなかった。
幼少期は一緒に遊んでもらって、小学生の頃は家族旅行も言って一緒に遊んだりしていた兄が遠く感じたり、自分がキモイと思うようになったのは中学生の頃からだと思います。
そんなイケメンの兄は今、イクメンになり素敵な夫とパパになっています。親は孫の顔も見れているので、本当にありがたいです。兄とお義姉さん、ありがとう。
摂食障害のきっかけ – 食事制限の開始 中学1年生後半~ –
摂食障害は、いつ発症したのか、いつから始まったのか定義するのは非常に難しいと思います。
なぜならどこから、か線をつけるのが難しいからです。医学的ではなく私の主観です。
医学的にはきっと、診断された日からなのでしょう。
その診断に至るまでに、きっかけは小さなことだったり、複数の要因が積み重なってだったり、そして周囲と本人の気づきがあるかないかも大きく違うと思います。
女性の身体になっていくのが嫌で、拒食症になる方もいると思います。
過食症は本人も苦しいし、食費でお金が飛びまくるので異変を感じやすいですが、拒食症は痩せることに固執していることにも気づかず、また順調に痩せていっている間は本当にやばいほど低体重になり、体力がなくなるまで、或いは精神的にショックなことがない限り、は本人はいたって元気なことが多いです。
(※私の経験談からですのでみなさんにはあてはまらないと思いますのでご留意お願いします。)
私のきっかけは、ダイエットでした。軽い気持ちで、思春期の女子でなくても日本人の女性でも多くの方が痩せたいと思っていると思います。
そして発端は、中学1年生の頃吹奏楽部の憧れの先輩に
「お腹すくよなぁ、家帰ったらすぐご飯やんなぁ!」と言われ、
私は家に帰ってご飯の前にお菓子とか食べちゃってたので、
「そっか!お菓子食べずにすぐご飯食べればいいんだ!早めのご飯すませてそしたら痩せるかも!」
と思い、帰宅後すぐにご飯食べるようにしたのですが、母にはわがまま言って 18:00には食べたい。など要求していました。
それがエスカレートし、晩ご飯は早めに、、、18時から、17時半に、時間を少しでも過ぎるととてつもなくイライラし、お弁当も自分でつめるようにし、極端に少なく、思い返せば白いご飯も3口程度のものを薄~~~くしき詰めていました。
成長期にも関わらず今思い返せば、本当に食べない食生活に陥っていきました。
その代わり、朝はまだちゃんと食べていました。
さすがに昼食時には周りに「少なすぎん?」と言われるので、朝をめちゃくちゃ食べるから。と言っていました。
明らかに栄養分の足りてない生活を、一番栄養がいる時期に自分の身体を酷使し痛めつけていましたね。
エスカレートする食事制限と過剰な運動 -体育の先生の気付き 中学校2年生~-
中学校2年生になると小学校で仲がこじれてしまった子と同じクラスになりました。
そして食事制限だけでなく、運動もエスカレートし、毎朝五時半に起きて30分~40分程度走ったり
週末はプールに行って1時間は泳いだり、食べてないのに動きまくっていました。
今の貧乳はこの成長期に体に栄養をあげなかったことも影響していると思います。
そりゃ一番の成長期にこんなことしてたら身体も成長しませんよね。
身長も伸びませんでしたし、生理も止まりました。
YUNMI
そして30代になった今、2回は豊胸手術をするので大きな出費です。ちゃんと食べて成長していれば数百万浮いてたでしょう!笑
次第に、友人から細すぎ!と言われたことがありましたが自分は全くそんなことは気づいておらず、まだまだ!と思っていました。この頃はたしか身長 150cm / 体重 34 Kgでした。中学1年生の冬ごろは45Kgあったので、1年以内に11Kg落としたことなりますね。しかもめちゃくちゃ不健康に。
異変に気付いてくれたのは、体育の先生でした。
ある日、体育の先生が持久走の授業で私が走っていても全く顔が赤くならないことや、体育着って薄着になるので細さに気づき、貧血かと思って親に電話したらしいです。
そのときは様子見になりました。
親は普段、異常に寒がる私をおかしいなと思ったみたいですが、冬なので厚着していましたし親の前で薄着や裸になることはなかったのでわからなかったみたいです。
体育の授業での事故 – 精神的にきつくなる 中学2年生 –
中学2年生のおそらく1月頃です。
バレーボールの授業で友人と接触してしまって相手の子は転倒し、足の平を骨折したか、ひねってしまい病院に行ったと思います。
後日、その子は松葉杖をついて登校してきました。
体育の先生は、私が接触して相手の子がコケた瞬間に
「〇〇(私)は気にしたらアカンからな!!!!」と大きい声で声をかけてくれたのは覚えていますが、その瞬間の記憶がそれ以上にありません。
相手の子はしばらく体育の授業は受けれられませんでした。
中学校2年生となると翌年は高校受験なので、学校の成績が受験にも影響してきます。たしか中学校の成績も受験する高校に提出するからだったと思いますし、私立は推薦枠もあるからです。
陰口で、「受験どうしてくれんねん」と相手の子と、私が小学校の頃仲がこじれた子も仲がよかったので一緒に私に対して何か言っているのを耳にしました。
周りをよく見ず、ケガさせてしまった自分が悪いので、でも謝ってもどうにかなる、許してもらえるものでもないので当時どうやって過ごしていたのか思い出せませんが、
その相手の子とはしばらく話ができなかったと思います。
担任と体育の先生の臨時家庭訪問 – 通院、拒食症の診断、入院と愛犬の出会い –
ある日担任の先生と体育の先生が家庭訪問に来ました。
そのときに貧血そうだから心配だと、またケガをさせてしまったこともあったからです。
今思い返すと、あまりにも痩せていたので先生は虐待の心配もしたのかもしれませんね。
一度病院に行くことを促され病院では拒食症と診断され、一旦通院になり、高カロリードリンク(1缶 200Kcal ぐらいでした。エンシュアリキッド)を処方され学校は休むことになりました。(当時の身長 150cm / 体重29-30Kg)
エンシュアリキッドは甘くて、味も何種類かあり、バニラ味がとくに好きでした。
改めて調べてみると販売元は外資系だったようです!バニラ味は販売中止になっているようでした。
アボット | 製品情報 | エンシュア・リキッド® (abbott.co.jp)
たしか数週間休んでおり、その間に期末テストもあったのでテストだけは先生と親の反対を押し切り登校しました。やはり受験があったのと、勉強はできる子だったからです。
(同級生には学校来ないのにテストだけ来るのなんで?とは言われていたようですが)
そして、ついに以下の理由で入院することになりました。
- 自宅にいても食生活は変えられない。(結局私も食べないので)
- 一向に体重が増えない、私に増やそうという気持ちが全くなく、体系認知の歪みやが改善されない。気付かない
YUNMI
「あ、食べなければかまってもらえるんだ。みんな優しいんだ」とも思って調子にものってたと思います。
そして、その頃の私は入院になるとなり、少し安心している自分がいました。
学校を休んでいる間は、夫婦仲が冷え切っていたのに父と母が一緒にスーパーの買い物に連れ出してくれたり、かまってもらえることがうれしかったんだと思います。
母にご飯を食べさせてもらうなど、いわゆる “幼児返り” の症状も出ていました。
母は毎日、私が死んでしまうと思って心配で、朝目が覚めると今日も起きてくれたよかった。と思っていたそうです。そして、私に生命力や活気も感じなかったのだと思います。
小学生の頃から犬を飼いたかったのですが、ずっと反対されていたのですが
泣きながら「犬飼おう」と言ってくれ愛犬を迎えることになりました。
そして愛犬を迎えたのは入院する1週間前のことでした。家族4人でペットショップに行き、お迎えする子を見に行きました。そこで、愛犬を抱っこしたときとても人懐こく、ひとめぼれで即決をしました。愛犬の記事もまた改めて書きたいと思います。
両親と兄のことを考えると、子どもや妹がこんな状態で、病院代もかかって、新しい家族も出迎えて大変な時期だったと思います。兄は高校に入って多感な時期でもあったと思います。
私も入院すると決まった日は初めての経験にドキドキしていましたが、入院初日から牢獄に入ったような気分ですぐに帰りたくなりました。
最終的に1か月ほど入院し、中学校2年生の3学期目は最後の1か月は学校には行っていなかったと思います。
長くなってきたので入院中の振り返りはまた別記事で書きたいと思います!
まとめ
中学生のこの頃のことを改めて思い出して、書き出してくるとなんのかはわからないのですが涙が出てきました。
人や兄と比べて劣等感が強くなってきたのもこの頃で、それゆえ痩せに固執したのかなぁ、ともなんとなく思います。瘦せている=一つのステータス=優越 のような認識で。
そしてかまってちゃんだった、甘えたかったのかもしれません(= 幼児返り現象)
結局貧乳のまま成長せず、別の悩みは出てきましたけどね。笑
いろんな人に迷惑かけましたし、体系への異常な認識も今だからわかります。
そのときは自分には本当にわからないので周りが気づいたり、きっかけがないと取り返しのつかないことになっていたかもしれません。
なので、もしこの記事を見てくださっている方の中に学校の先生や、最近我が子が痩せてきたな?血色薄いな?お弁当自分で作りたがるな?とかあれば気を付けてみてほしいなと思います。
学校の先生も、今の時代モンスターペアレントとか、ハラスメントとかかなり気を遣わないといけなくなってきてると思いますが子どもの異変や、不調など日々注意してみてくれているんだなと改めて思いました。
体育の先生も厳しくて、怖い先生で、近寄りがたいと思っていたのですが
実は情は厚くて、全然目立たない、隠キャラで、なんの面白味もない自分を見ていてくれて、気づいてくれたことがすごく嬉しかったですし、見てくれて、気づいてくれて心から感謝しています。
先生今頃どこで何をされているか気になりますね。
そして、かけがえのない愛犬との出会いもありもう他界してしまったけど彼女が来てくれて本当によかったですし、私達のところでその子は幸せだったのかなとまた悩んだりもします。愛犬もありがとう。