中学校2年生の3学期に入院し、そのときの体重は29KG (身長 152cm)。
1か月の入院後、新学年になる4月を迎えるころにはたしか、34KGまで回復していました。
両親も先生も、新学期からの復帰は無理だ、修学旅行も無理だと思っていたみたいですが
私はどちらも行うことができました。
しかし、退院後は今度は極端に食欲が爆発し、過食症に以降していきました。
高校受験も控えていたので、勉強の焦りもそこそこありましたが塾は大好きでした。
塾の先生はとても親身になってくれて心から信頼していました。学校の先生もなんだかんだ気にかけてくれていたと思うので、当時周りの大人をもっと信用しておけばよかった、甘えておけばよかったなぁ、なんてことも思ったりしますし、高校受験という目標があり当時はいろいろ頑張れていたなぁと思います。
では一つ一つまた振り返りたいと思います。
目次
退院 ー 学校復帰 (1) クラス替え と学校の先生の配慮 ー
退院したのは3月頃だったと思います。
中学1年生の頃から通っていた塾では、学校の1か月先取りした授業が行われ
新学年の授業も3月からスタートします。
高校受験も控えている中学3年生の時期は、勉強に対する焦りもありましたが
塾は幸いにも先生に恵まれ、塾の友人にも恵まれ楽しく通うことができ大好きでした。
学校は新学年から復帰ということで、クラス替えもあったので周りからあまり変な目で見られることはなかったと思います。
しかし、中学2年生の頃の担任の先生が多少は同じクラスになる同級生を私のことを考慮してくれたようで、記憶はおぼろげですが退院した直後、担任の先生と私の異変に気付いてくれた体育の先生が家庭訪問に来て、そのときにだれと仲が良い?と聞かれました。
私は、当時は中学校では、【親友】と呼べる友人もおらず、特別仲の良い友人もおらず、みんなとまんべんなくという感じでしたので
特別仲が良かったわけではないのですが「〇〇ちゃんは優しいし、安心感がある」と私がぽろりと漏らしたその子と同じクラスになりました。
先生なりに、スムーズに学校生活が送れるよう、気に病まないよう気を遣ってくれていました。
その傍らいつしか私は学校が嫌いになっていて、自分への劣等感もありながら過ごしていましたが高校は行きたい高校があったこと、勉強は好きだったので勉強は必死にやりました。
退院 ー 学校復帰 (2) 国語 35点の悲劇 と信頼できる塾の先生 ー
中学3年になってから国語が酷く苦手科目になってしまい中間テストや期末テストで35点という酷い点数を2回連続とってしまいました。
その他の科目は80-100点を採っていましたし中学校のテストで、80点以下はおそらくほとんど採ったことがないのに受験が控えているこのタイミングでひどく焦りました。
当時通っていた塾は、集団だけでなく個人授業もあったので塾の先生に相談してまず無料体験に申し込みました。
体験は受けましたが、塾の先生にはこの個人授業は本当に勉強そのものが苦手な子が受けるようなもので、ある程度自分で勉強そのものできる子が受けるものではない、と言われ、先生は私に事情を尋ねました。
国語で35点をとってしまったことを話すと先生は慰めてくれしかも、塾としては個人授業を継続する方が儲かるのに私には今受けている集団授業で十分だと諭してくれました。
そして親と三者面談を行い個人授業は継続しないことにしました。
塾の先生もなんだかんだで自分のことを理解しようとしてくれていたのかなと思うと、ありがたいです。
塾での自分と学校での自分
相変わらず、自分のことは女性としてはキモイと思っていました。
学校では【隠キャラ】なので、男子生徒は苦手ですし、むしろ先生にちょっかいを出し授業を中断させるようなやんちゃキャラの男子生徒は心の奥底で冷ややかにも見ていたと思います。
【めんどくせえな、黙れよ】
一方で、塾では違いました。
塾では男子生徒でもとくに苦手意識はなく、多少は仲良く話していた男子生徒もいました。
おそらく、クラスの雰囲気と先生の雰囲気がよかったこと、みんな塾に来ている目的が明確であるので授業妨害するような生徒はいないこと、勉強する場なのでクラスの中心だとか隠キャラだとかそんな区分けは存在しないからだと思います。
女子生徒でも他校ではきっとクラスの中心で、人気者なんだろうなぁという子達とも臆することなく話せ、クラス全体仲の良い雰囲気でした。
過食症の勃発
拒食症の方が過食に移行することはよくあります。
私も例外にはならず、普通の食生活には戻れず、自分のガリガリの姿に驚愕はしつつも
食べ物へのこだわり、太ることへの嫌悪感などは残っており
普段の食事は入院前ほどではありませんでしたが、少ない量へと戻っていきました。
そして、ときどきスイッチが切れたように食べずにはいられない日があり
そんな日は1日中なにか食べているような日がありました。
そしてそれを調整するかのように、またあまり食べない日が続くのです。
爆食する日があるので、もう体重減少を続けることはなくなりましたが明らかに不健康な食生活であったと今でも思います。
次第に、嘔吐することを覚えていくことになります。
生理は止まったまま、身長は伸びることもなく、胸も成長することはありませんでした(超大事)。
この頃の食生活は自分でも苦しかったです。普通に食べられない、食べすぎたと思ったらタカが外れたように食べ続けてしまう。本当に苦しいし、1日食べ続けた次の日の胃もたれは辛いし罪悪感もあります。
そでも二日連続で食べまくってしまうこともあり、なんとか他の日を減らして帳尻合わせをするような日々でした。
高校受験
どうしても行きたい高校がありました。
公立ですが、国際科があり英語学習に力を入れている学校です。
学区ないでは偏差値2位の学校でした。
TOPに行きたい気持ちもありましたが、やりたいことを優先してここの公立を大本命に、
滑り止めに地域では有名な女子高を1つ、もう一つは同じく国際科のある共学の私立高校を1つ、合計3校受験しました。
国語35点の悲劇からも勉強を必死にやって無事すべて合格することができました。
合格できたのは、勉強を踏ん張れたのは
自分がそこの高校に行きたいという動機
塾が楽しかったこと塾の先生が大好きだった
塾の定期テストで上位者に自分の名前が載るのが快感であった
これらが主だった思います。
中学校は本当に学校が嫌いだったので高校では楽しい学校生活にも憧れていたと思います。
後にせっかく合格した高校をほとんど通わずに中途退学することになりますが
中学生の頃に勉強をかなりしたことは、社会人になっても勉強する地盤や基礎ができたと思っているので役に立っていると思います。
まとめ
拒食症で退院した後、学校や塾に通い周りが予想していなかったスピードで社会復帰していったのはなにより受験の年であったことが大きいと思います。
勉強が遅れることにはなによりも不安がありました。
学校の友達に会えなくてさみしい、とかは全くなかったと思います。
それだけ中学校は好きではありませんでしたし、人間関係もうまく築けていなかったのでしょう。
中学は勉強と、塾、塾の先生が私の支えであったと思います。
拒食症は快方に向かったと思いますし、体型の認知の歪みはなくなったと思いますが
過食に足を突っ込んでしまいその後何年も悩むことになります。
摂食障害とは一筋縄にはいかず困ったものです。