過去の振り返り ② 小学校低学年~中学年 – 子どもの世渡り術/トレーニング –

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YUNMI

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小学校1年、2年、3年生の頃私はどんな子どもだったか?

小学校1年生の入学式のことなど全く覚えていないですが幼少期と同様に、活発で、女の子らしいは嫌い、週1回のスイミングスクールは続けていて、そしてピアノとお習字を習っていた。

お兄ちゃんっ子で、お兄ちゃんに遊んでもらうのがうれしかったし、

2歳頃からの幼馴染の姉妹がいて、今でもときどき遊んだり旅行にいったりする。

人の顔色を過敏に伺うようになったのはこの頃からかなと思います

母親の顔色をうかがって嘘をついたり、子供なりにうまくやっていこうとしていた気がします。

習い事のピアノをやめたくなったけど、なぜか先生にやめると言い辛くて怒られたことがあったこともありました。(ピアノの先生に)

両親は仲が良いとは言えず、喧嘩をすると怖かったし、たぶんこの頃から家が嫌に思うことがあったと思う。でも家族旅行は夏と冬に行っていたし、父と母の実家へもお盆、年末年始、春休みそれぞれ帰省していたし、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだった。

また一つ一つポイントを分析します。

ピアノの先生に辞めたいと言えなかったこと

小学校1か2年生の頃だったと思います。おさななじみと一緒に近所のピアノ教室に週1回通っていて、近所の同級生も通っていました。

ある日から、通うのがすごく億劫になって、ピアノそのものが嫌いだったのではないのですが、たぶん根本的なところは先生を合わなくなっていったのかもしれません。

最終的にどうやって辞めたのか、先生に辞めたい意図が伝わったのかは覚えていないのですが、今でもはっきりと覚えているのは辞めたいことが先生に伝わった後のレッスンで、

「なんで自分で言わへんのやろなあ?、ほんま不思議やわ」と冷たいトーンで(と、子どもなりに受け取った)言われたことです。

先生は何気なくつぶやいたことかもしれませんが、当時の私にはとても重くのしかかって、泣いたか泣いてないかはわかりませんが、そんな心境になったことを鮮明に覚えています。

「なぜ自分で言わなかったのか?」について、

① 純粋に、先生に言い辛かった。

② 自分が辞めると言ったら先生を悲しませる。

③ 自分が辞めると言ったら先生は傷つくだろう。

と考えていたと思います。

自分が先生をする立場だったら、生徒が辞めるといったら自分が悪かったのかな。と思うからです。

習い事を辞める事情はいろいろとあると思いますが、たぶん先生のことが苦手だったので余計にそうした想像をしていました。ほかの理由ならそもそもそんなに気にしてなかったとも思います。(笑)

大人になった今振り返ると、穏便に辞めるにはどうしたらいいか、ということになりますね。

母親の顔色を伺う – 嘘をつく –

子育てのことやいろいろ母は精一杯だったのだと思います。

ヒステリック気味になることもあって、とにかく怒らせないように、機嫌を損ねないようにと思っていました。

母を怒らせてしまったとき、たぶんひたすら謝っていたし、どうしていいのかわからなかったし

よくあるのは、〇〇ちゃんのおうちは、、、、というようなことも言わないようにしていたと思います。

例えば、友達と遊ぶとき、私の家では自分の部屋だけでお菓子も少ししか出てこない

でも友達の家では、リビングや台所で友達の母がクレープの皮を焼いてくれて、みんなで包んで食べたり。それがすごく優しいお母さんに見えて、とてもうらやましくて。

でもそんなことを家で言うと、母の機嫌が悪くなることを知っていたので

「おやつは食べていない」と言ったりしていたと思います。

これは学生時代の話になりますが、友達と花火をするにもネットで自分のバイト代で花火を買い込んで、母にばれると無駄遣いと機嫌が悪くなり、無視されるので徹底的に隠したり。(でもバレてやっぱり数日口をきいてくれなかった笑)

とにかく、母の機嫌が悪くなるようなことはしないように、

あ、今の一言で機嫌悪くなったな。と思ったらその後は何事もなかったかのように、というかそれ以上に明るくふるまってみたり。

怒られた日は家にいたくなくて、マンションのロビーにいたりその辺を散歩したり。

それで家に帰ると、そんな夜に子どもが一人でいたらなんと思われるか!!と

また怒られるハメになるんですが(笑)

ひたすら部屋に籠って過ごした日もあったと思います。自分の部屋をもらえていたのはありがたかったですね。

その心は、母が怒ると怖かったのか、子どもはやっぱり母親がいないと生きていけないという本能のなのかわかりません。

父と母の夫婦仲と 親子関係について

父と母の夫婦喧嘩は母親が一方的にヒステリックになっている(ように見えた)ので

母がいつか出ていくのではないかとも思っていたし、いつか離婚するのかな。とも思っていました。

毎回怖かったのは覚えているし、ドキドキもしていました。

よからぬことを想像したこともありました。

でも、今でも離婚はしていませんし、夫婦仲は相変わらずですが、私は今は一人暮らし

兄は結婚して子どももおり、愛犬は2年半ほど前に亡くなってしまったので

今は実家は二人です。それでも成り立っているのは一応リタイアはしたものの父はまだ働いており四六時中家にいる。ということがないからかもしれません。

今後実は心配だったりしまずが、

私も一人暮らしの楽さに慣れてしまったので実家暮らしは厳しいと思います。

子どもの前ではやっぱり親は仲良しがいいと思います。

母は父の愚痴や文句を平気で本人に聞こえるように嫌味っぽく私に言ってくるので(今でも)いちいちヒヤヒヤしますし疲れます。

母の気持ちもわからなくもないですが、嫌味っぽく言うのは本当にやめてほしい。

私が父と仲良さそうにしていると、不機嫌に昔からなります。

母のせいではないけれども、父との接し方にはどうしたらよいか悩ましいところもあり

父親愛というのがわからなかったのが実情です。

でも学資保険をかけていてくれたり、還暦にプレゼントした焼酎割とかに使える名入りタンブラーは大事に使ってくれているし

誕生日でも何も言わない父ですがたぶん不器用なだけなんだと思います。

女性は父親との関係が恋愛にも影響するという話もありますが、もしそうだとしたら

私の場合は、父親愛を肌で感じることがなかったため、そもそも男性に愛されるという感覚がわからない、そして一度はまると泥沼なのかもしれません。

兄との関係は中学生の頃の経験と一緒に綴りますが、兄のことは大好きですが

兄にはいまだに気を使いますし、機嫌を伺ってしまう。妹として、一人の存在として自分はなんだろう。男性に対して苦手意識や、どうせ自分は。ということになっているのかもしれません。

まとめ

思い込みであったこともあると思いますが、人の機嫌を伺う、傷つけないようにしたい、

穏便に世渡りしたい、父親/兄との関係から男性への苦手意識、これは潜在的に小学生の頃から生まれていたのかもしれません。

怒られるのは誰でも嫌なことですが、たぶん心の底では母も父も兄も好きだし仲良く過ごしたい。だと思います。

そのために自分なりに行動してきたのであろうと思います。

でも自我もあって、そのバランスのために嘘ついてたのかなと思います。(その嘘も母にはお見通しでしたけどね、で母は自分に怒られるからと思われてつかれた嘘に余計機嫌悪くなる 笑)

あれ?そう思うと子どもなりに社会でも使われてそうな、“穏便に済ます” というスキルを磨いてきたのかな?

うまくはいってなかったみたいですけど、そう思えば小さいころからトレーニングしてきた!感受性も豊かじゃないか、自分!! と変換するとポジティブになれそうです。笑

今日はオチみたいになりましたね。

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