幼稚園のころの記憶は断片的にしか残っていませんが、覚えているのはとにかく社交的、一人でも行動ができ、人見知りしない子どもだったと思います。
そして、団体で群れる?のも好きではなく、型にはめたものにはしっくりとこなかったと思います。
例えば、
- 女の子はピンクや赤→嫌い!青がいい!
- 女の子はスカート →スカートは絶対に着たくない!
- 幼稚園でグループにわかれてグループ対抗の遊び→マジョリティにはなりたくない!
- 通っていたスイミングスクールでのハイキングイベント→行きたい!と言って友だちがいない中一人で参加(参加中に友達を作る)
まずは1. と 2. については、兄がいたからなのかなんなのか本当に今でもわかりませんが、一般的な”女の子らしい”が嫌いでした。自分自身の性認識は幼い頃からずっと心も身体も女性で、恋愛対象も男性です。
一個一個整理していきます。
目次
1. 女の子はピンクや赤 → 嫌い、青がいい!
まず、【ピンク・赤 論争について】
現代の令和の時代には女の子はピンクなんて考えはもうないのかもしれませんが、私の幼少期平成初期はまだ、女の子はピンクが好き。女の子にはピンクや赤。という考えはあったと記憶しています。
小学校のランドセルは赤を持っていましたが、習字道具のカバンは女子生徒はみんな赤のところ私は青にしました。
持ち物も、服もピンクは一切持っていなかったと思いますし、プレゼントでもらうラッピングのリボンもピンクには違和感を感じる、もう どんだけやねん。でした。サンリオのキャラクターもキティちゃんではなくて、ポチャッコが好きでした。ポチャッコかわいい。
(ポチャッコ最近見ないな…思ったら立派に人生観の本を出版していました。 けっこう元気になる言葉を綴っています。 )
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2. 女の子はスカート → スカートは絶対に着たくない !
就活や大学院卒業時、友人の結婚式などフォーマルな場面に出くわすまで私服でスカートは履いたこともなく、大学生になるまで持っていなかったと思います。
大学生の頃に、物心がつきかわいいスカートや、ミニスカート履いてみたいと思って買ってみたことはあったような気がしますが結局着用せず、私服でスカートは、30歳過ぎてからときどき履くようになったと思います。
令和では、制服はきっとスカートだけではなくて、パンツも選べるようになってたりするのかなと思います。平成時代の私の中学校でも、私達が入学する年代ぐらいから女子生徒用のパンツが選べるようになっていました。着用している人はいませんでいたが。(実はパンツにしようかすごく悩みました。)
その割には幼少期には髪の毛はいつもポニーテール、一度幼稚園の頃に母に連れられて行った床屋で気づいたらショートカットにされて大泣きしたことはあります…笑
でもくせ毛があったのもありますが、長い髪をおろす髪型は、こちらも30過ぎるまで人前でしたことがありませんでした。
矛盾はありますが、なぜこんなにも “女の子らしい” が嫌いだったのか、もしくは
“みんなそうだからそう” という枠組みをつけられるのが嫌だったのか、これはブログを綴る中で見ててくるのかもしれません。
また、もしかするとこれも後の自分への女性としての劣等感や、女性として扱われることへの違和感に繋がっているのかもしれません。
少なくとも、性認識については 33歳(34歳になる)2023年には豊胸手術をするのだから、“女性になること/であること” への抵抗感や違和感ではなさそうです。
3. 幼稚園でグループにわかれてグループ対抗の遊び →マジョリティにはなりたくない!
周りの子たちはクラスの人気者の〇〇ちゃんと同じグループが良い!というところ、私はあえてその子とは違うグループにいる!など
⇒その人気者の子が嫌いではなくて、むしろ大好きなのと、嫉妬してすねていたのではなくて
” みんな一緒のことをする” というのがなぜかすごく嫌だったということを覚えています。
でも幼いなりに劣等感は感じていたのかもしれません。
顔がかわいい子ってやっぱり幼いながらにもかわいいってちゃんと思いますし、同性ながらにうらやましいという感情や自分と比較してしまう感情は、はいくつになってもあると思いますし。
4. 通っていたスイミングスクールでのハイキングイベント →行きたい!と言って友だちがいない中一人で参加 (参加中に友達を作る)
幼稚園の頃から小学校6年生まで週1回通っていたスイミングスクールでの出来事です。
定期的に、スイミングスクールでハイキングなどの課外活動イベント(希望者のみ、申込制で有料だったはずです)が開催されていました。
私は何回かハイキングに参加したことがあったと思います。
そこで一番記憶に残っているのは、おそらく幼稚園年長か小学校低学年の頃、ハイキングに参加したいと言って母に送り出してもらいました。
後から母から聞いた話で、母はスイミングスクールの先生から
『他の子達はみんな友達と一緒に申し込んで、一人では参加したがらないのに〇〇ちゃん(私)は
1人でも参加して、そこで他の子達とも一緒に遊ぶことができてすごいですね!』
と言われたらしい。
正確な表現は覚えていないけれど、とにかく “友達と一緒に ” ではなく
” やりたいと思ったら一人でも” 参加する行動力と度胸というか、そんなものがあった子どもで、一人で参加しても” 初対面の人に話かけ、溶け込む社交性” はあったようです。
覚えているのは、年上のお姉さん、お兄さんに遊んでもらった記憶もあるので
社交性といいつつも面倒をみて相手してもらっただけなのかもしれません。(笑)
その場で出会った人達とは友達になれたと思いますがその後、スイミングスクールでのクラスも曜日も違い、当時は携帯もメールもない時代(今時の幼稚園、小学生はスマホもってますか?)なのでその後は何かのタイミングで顔合わせれば…ぐらいに終わったと思います。
まさに一期一会でした。
あのとき出会った人たちは今何をして、どんな大人になっているかな。
名前も顔も全く覚えていないけれども、どこかですれ違っていたりしたらそれも素敵だなぁ、と思います。
そして、有料イベントだったと思うし、習い事もお金のかかることだし、やりたいようにやらせてくれた両親には改めて感謝と、愛してくれていたんだな。とこの記事書いててじ~んと来ました。
後に、中学・高校では大荒れで迷惑をかけて苦しませることになるけれども….
5. まとめ
明るく社交的で活発、”女の子らしい”や、型にはまるのが嫌いな性格であったと分析しました。
そして、中学、高校、大学、社会人を経て今思うことは、この頃の自分がなんとなく、私がありたい姿というか、自分らしいなと33歳になった今思います。
どこでどうこじらせて劣等感ばかり感じるようになったかはこの後の話になってきますが自分のやりたいと思うことには真っ直ぐだったのかなと思います。
今は安定を優先して会社員で会社に守られ収入も社会保障も、社会的地位も得られていますが
【自分はどうしたいのか?】という視点になると幼い頃の私はきっと今の生活とは別の生活を追い求め、送っているかもしれないな~と思いました。